論壇

2013年度 建設論壇

  • 第6回 ありがとう、と伝えたい
    • 『ありがとう、と伝えたい』 松田 まり子

      今年も12月になり、もう終わりに近づいてきましたね。
      私にとって今年の出来事で一番大きかったのは、仕事を除いて、やはり初めての出産・育児でした。
      大雨洪水警報の出ている中、両親に車を走らせてもらい、病院へ向かいその後約31時間にわたって陣痛に耐えました。
      痛いというよりも呼吸もうまくできず、辛すぎて幻聴や幻想が見え始め、最後は宇宙の中に浮いて自分が生きているか生きていないか認識できない状態でした。
      分娩台の上で「もうすぐ赤ちゃんに会えますからね、目を開けてください」という助産婦さんの声に、初めて自分が目をつぶっていたこと、酸素マスクをつけられ息が絶え絶えになっていることに気づきました。

      その数分後、私の胸の上に生まれたばかりの娘が置かれました。
      気力も殆ど残っていませんでしたが、本能的に抱きしめ体温を感じ産声を聞いて涙があふれました。
      あとで振り返ると、この出産はこれから始まる育児の大変さを表すオリエンテーションのようなものでした。出産してからは、毎日娘を眺めては「かわいい、かわいい」と何度も口に出してしまうのですが、それと同時に蔓延的な疲労と睡眠不足がはじまりました。

      皆さんは、ネントレって言葉を聞いたことがありますか?
      ネントレとは、ねんねトレーニングを略したものなのですが、実はこのネントレに関する本が何冊も出版されています。

      「最初だけよ。そのうち眠るようになるから」という周りの声とは裏腹に、私の娘は長く眠ることがうまくできません。
      通常一晩に4~5回起き、多いときは0時から6時までの間に8回起きて泣きぐずります。
      夜中に泣かせると、近所迷惑だし、隣で寝ている旦那を起こしたら悪いし等考えるとどんどん気が滅入ってきます。
      なんとか泣き止ませてもあとは遊び始めるので、夜中の3時にぬいぐるみ劇や童謡のオンパレード、「ママのソロコンサート」を開催してねかしつけたりしていました。

      そんな日々が、生まれてからずっと続いています。
      これでは私にとっても娘にとっても良くないと感じ現在も赤ちゃんがぐっすり眠るための方法を模索しています。
      ボディソープを変えたらいいと聞くと早速買い替え、赤ちゃんをお風呂に入れるとき浮き輪で泳がすといいと聞けば試し、他にも昼寝させないようにする、眠る前にミルクをたっぷり与える、毎朝6時に散歩する、眠る前に沢山泣かせてから寝かせる等、藁でも何でもつかむ勢いです。

      最近は、多くのネントレ本を読み始めました。ネントレにも「泣かせるネントレ」と「泣かせないネントレ」があるようです。
      「泣かせるネントレ」は、夜中布団の上に置いて、泣いても抱っこしない、授乳しない、するのは声掛けや背中をトントンする程度で、一人で眠るまで1時間でも2時間でも耐えさせながら、一人で眠るトレーニングをするそうです。

      他人の赤ちゃんの声は元気で可愛いな、と思えるものの、自分の娘に対しては、胸が引きちぎれそうな気持ちになります。
      泣いているのをずっと我慢して聞いているのは赤ちゃんにとってだけでなく、母親の方にも辛いトレーニングになりそうです。
      「泣かせない」ネントレは、眠る儀式(音楽を流す、絵本を読む等)を設けて、生活リズムを整えてスケジューリングしていくことを主体としているので、一見易しそうですが、長期的なトレーニングになりそうです。どちらを選ぶか、悩みどころではあります。
      しかし、これらの本を読んで悩んでいるのは自分だけじゃない、ということが分かっただけでも、だいぶ気持ちが楽になりました。
      今後、娘にあったネントレをみつけて、いつか連続せめて6時間でも寝てくれる日を夢見ています。
      「寝る子は育つ」という言葉がありますが、あまり眠らない我が娘は親の心配を裏にすくすくと育っています。

      4月に出産し現在8か月ですが、昨日初めてつかまり立ちをしました。
      はじめておもちゃをつかんだ日、はじめて笑った日、はじめて寝返りをうった日、はじめてお座りした日、はじめてハイハイした日、すべてが初めてです。
      この貴重な時間を過ごせていることをとても幸せに感じています。
      何よりも自分の親に対する気持ちが大きく変わりました。

      今回で建設論壇の執筆も最後になりました。
      毎回、周りの皆さんに論壇読んでいるよ、など感想等を頂戴してとても嬉しかったです。
      このような機会を頂いて感謝しております。
      最後までご精読ありがとうございました。

      (2013年12月11日掲載)

  • 第5回 知りたい気持ち、伝えたい気持ち
    • 『知りたい気持ち、伝えたい気持ち』 松田 まり子

      建築士には、コミュニケーション能力がとても重要だとよくいわれます。
      建物を建てる際には、必ずプランを説明しないといけません。以前、職場の上司から「七人の敵に説明して承認してもらってやっと建物は建てられる」と教わりました。
      一人目は土地の地主、二人目は役所、三人目は施主、四人目は近隣、五人目は施工者、六人目はメディア、七人目は世間とのことでした。
      当時私の担当していたプロジェクトで近隣の方にお願いして承認してもらわないと着工できないことがあり、毎日のように通って説明したことがありました。
      改めてコミュニケーションの難しさを感じました。

      日本語で伝えることができないのに、英語で気持ちが伝わるはずがないのではないかと考える方もいるでしょう。
      はじめて海外に行ったのは高校生の頃でした。学校の姉妹校がニューヨーク州にあり、ホームステイをしながら1か月アメリカの高校生に混じって通学しました。
      勿論はじめからうまく話せるわけにはいかず、無口な子だねと言われていました。
      実際私は無口ではなく、同じ日本の高校生に会った瞬間弾けるかのごとく話す私をみて、ホストファミリーは驚き、そしてこう言ってくれました。

      「自信を持って、わかる単語だけでもいいから、どんどん話しなさい。文法も間違っていいし、発音も接続詞も間違っていい。理解してあげるからとにかく話しなさい。」
       
      初めは不安ばかりでしたが、じっと聞いてくれるホストファミリーのおかげで、どんどん話せるようになりました。そして気が付くと夢の中でも英語で話している自分を発見してドキドキしたのを覚えています。

      その後大学生になった私は、工学部に所属し英語とは全く縁のない生活を送っていましたが英語って楽しいなと思い続けていました。
      社会人に入って初めての仕事は、横須賀基地内のプロジェクトでした。
      入社面接のときに「英語は好きですか?」との質問に「大好きです。」と答えてしまったばかりに、海外事業部に所属となってしまったのです。
      会議はすべて英語で録音はしているものの、たった数時間の議事録作成にさえも苦労しました。それから日本語と英語両方の設計図書を作成するのですが、建築英語辞典を片手に英語漬けの毎日を送っていました。
      しかし調べれば調べるほど分かる楽しみが増え、今度話したいことを頭の中で作文していく作業を自然とできるようになりました。

      ある設計事務所でインターンをしていたとき、チーム別に提案をする機会がありました。
      その事務所は半分が外国人で、私のチームは、スペインとフランス人と日本という3か国にまたがる構成でした。
      しかも、私以外の彼らはスペイン語で会話しています。その時は日本人だけのチームがとてもうらやましく、話し合いをしながら淡々と作業をしているのを横目に、私は一体このチームで何をすればいいのか悩みました。
      このままではいけないと思い、知っている英語を投げかけ半ば強制的に会話に参加しました。説明が難しかったり、理解が足りなかったりした部分は、ひたすら絵や単語を書き並べました。そのうち他のメンバーも私の描いた図のそばにどんどん絵や文字を加えていき、結果独創的で楽しい発表になりました。

      昨年、JICA研修で来沖していたサモア、中国、ベトナムの研究員の方々と過ごした3日間もとても貴重な時間でした。
      全員母国語が英語ではないので、独特の発音やアクセントはありますが、お互いを知ろうという気持ちがあり、話題をだすととことん話すことができました。
      各国の設計料は、建設費の何%くらいなのか聞くと、サモアの方は50%だといい、ベトナムの方は1%程度だといいます。
      台風の対策はどうやっているのか聞くと、サモアの方は、屋根はとんだらまた取りに行けば良いといいます。これには、そこにいた全員で笑う場面もありました。
      共通の話題や同じ事を笑いあえると距離が縮まっていくのを感じました。

      コミュニケーションのコツは、なるべく単純にかっこつけない事だと思います。
      そして表情やリアクションを大切にすることだと思います。
      私が初対面で話しかけるときは、まず相手をよく見て長所をみつける事から始めます。
      そうすると違う会話にも発展しやすい気がします。
      そして話を聞く事と話す事の割合を5:5程度にすることもポイントです。

      アジアの蒸暑地域には、世界人口の1/3の人々が暮らしています。
      今後、沖縄から発信するだけでなく受信するのも同じくらい大切だと思います。相手を知りたいという気持ち伝えたい気持ちが合致して何かを変えるきっかけになるかもしれません。

      (2013年10月16日掲載)

  • 第4回 「風」と共に暮らす
    • 『「風」と共に暮らす』 松田 まり子

      沖縄の風土に適した住宅はどういうものでしょうか。
      未来の沖縄はこれからどう変わっていくのでしょうか。
      沖縄の建築はこのたった100年ちょっとで劇的に変化しました。

      琉球王国であったころは、身分によって屋根を瓦葺にすることを制限されていました。
      1872年、琉球王国は明治政府により琉球藩となり、1879年に沖縄県となりました。
      1889年に琉球王府時代に制定された民家の瓦葺制度が解除され、身分に関係なく瓦葺が可能となりました。
      そこで首里と那覇に制限されていた瓦葺屋根が地方に普及し始めて、現在の沖縄の原風景となる福木の屋敷林と赤瓦の景観が創出されました。

      しかし1944年に空爆、1945年に米軍本島上陸により全県焦土となり首里・那覇を中心とする多くの建物が焼失しました。
      戦後、焼け野原になった沖縄に3年間で7万3500戸の応急規格住宅が建設されました。この規格住宅は一般にツーバーフォーと呼ばれるもので、2インチ×4インチの米国産の松材(ダグラスファー)を使用しました。
      面積は約6坪で台風には耐えられない構造ではありましたが雨露をしのぎ戦後の物資のない時代に家族の団欒を支えるものでした。

      1950年に日本本土で施行された建築基準法は、1952年になって沖縄群島建築基準条令を建築基準法(立法第65号)として公布されました。
      そして1952年、本土からの木材の輸入が認められ、杉材の木造軸組み構造に、赤瓦葺きやセメント瓦葺きの住宅が普及していきました。
      ところが、木造軸組構法は本土の工法に習ってコンクリートの基礎を建物周囲に巡らし、その上に杉材の土台を乗せた工法に変わり、床下換気は換気孔を設けてあるとはいうものの、十分に通気がなされていないものでありました。
      しかも、戦後沖縄の木造住宅の土台は床下換気や土台の腐朽に対して、明確な基準がなかった上、当時使用した杉材は、未乾燥の含水率の高い材で、間伐材であったと考えられるものが多かったため、腐朽が早く、またシロアリやその他の虫害による甚大な被害が発生しました。

      また、当時度々襲来した大型台風によって、木造住宅は土台の破壊による大きな損傷を受け、一般の木造住宅に対する不信は増大していきました。
      ついに木造住宅の着工件数は、1961年(昭和36)を境にして、鉄筋コンクリートや補強コンクリートブロック構造など木造以外の構造に変わっていきました。
      米軍基地建設に従事した技術者が、米国仕様の鉄筋コンクリート基準を学び、その技術を民間に応用しました。住宅建設は、当初は、補強コンクリートブロック造でしたが、壁量の制限などによる間取りの不自由さのため敬遠され、鉄筋コンクリート・ラーメン構造へと移行していきました。その理由として、柱のスパンを広くとることにより、伝統的な暮らし方に相応しい開放的な空間が可能となったためです。
      その後、空調機の普及に伴って、自由な間取り、多様な構造手法が生まれましたが、木造建築の占める割合は、未だに全着工数の10%にも達していないという沖縄独特な状況にあります。

      原風景のまま、木造の家に住むというのは理想かもしれませんが、私たちは歴史を背負い受け止め、現在の沖縄を築きました。
      木造だから快適な生活になるのではなく、鉄筋コンクリート造だから安心しきっていいというわけではありません。

      どの家にも共通する沖縄の気候風土に沿った暮らし方とは、一体何でしょうか。
      答えは、「風」にきいてください。
      風は歴史が変わってもこれからもずっと吹き続けるものだと思います。

      風といえば、皆さんは自分の家の窓、どこを開ければ風が通り抜けるかとか、どの時間帯にどんな風が吹くのか把握していますか?
      一般的に那覇市は昼夜を問わず、東から南に面した窓が風上側になる頻度が高いようです。ただし、敷地周辺の立地条件により変わってくるので、住んでいる家の特徴はその家にいないとわかりません。窓も風上側の窓だけでなく、風下側の窓を開けることがより効率よく風を通り抜けさせるポイントです。入り口だけでなく出口を開けてあげることで気持ち良く風が抜けていくのがわかると思います。
      快適な暮らしをするためには、平均風速が約5m/秒という特徴を利用して「風を知ること」が一番の近道かもしれません。

      未来の沖縄もまた、きっと心地よい風が吹いてそれを愉しむ家がある、そんな風景が広がっていると思います。

      (2013年8月21日掲載)

  • 第3回 世界の省エネ住宅から学ぶこと
    • 『世界の省エネ住宅から学ぶこと』 松田 まり子

      梅雨がおわり本格的な夏がはじまり、沖縄に省エネの季節がやってきます。
      美しい省エネ住宅に暮らしたいと、前回の論壇で述べましたが、実際世界にはどんな省エネ住宅があるでしょうか。

      昨年「ソーラー・デカスロン・ヨーロッパ2012」がスペインで行われました。
      世界各国の学生チームが環境配慮型の住宅を建てて、性能を競い合う国際大会です。
      日本のチームは、千葉大学から参加し、積水ハウスなど60以上の企業や団体の協力を得て、日本の家づくりを世界に提案しようと挑みました。
      ところが、結果は出場した18チーム中15位と惨敗でした。日本の最先端が世界で評価されなかったと、雑誌には掲載されていました。
      惨敗した原因に「ガラパゴス化」と「伝統家屋にすぎない」がとの理由が取り上げられていいました。
      「ガラパゴス化」とは、孤立した環境で最適化が進行した結果、エリア外との互換性を失い孤立化するといったような意味のビジネス用語です。たとえば、世界標準とは異なる進化をした日本の携帯電話のことをガラパゴス携帯(略してガラケー)というような使われ方をしています。

      さて、今回の住宅でのガラパゴス化とは、設置した太陽光パネルで発電した電気を直流から交流に変換するパワーコンディショナーのことでした。
      欧州でも使える認証を受けた日本製が存在しなかったため、仕方なくイタリア製を使用しましたが結果が思うように現れませんでした。
      また、すべての日本製家電の電圧は100Vで現地の電圧220Vとの間に変圧器も必要とのことで損失もあったようです。
      今のところは仕方ないとしか言えないのかもしれません。
      でもこれからは日本の携帯もスマートフォンに変わっていくように世界標準を意識した環境設備の進化が望まれていくと感じました。

      さて「伝統家屋にすぎない」との評価はどうでしょうか。
      日本人はまじめで、伝統を守り、知恵を生かしていく。素晴らしいことだと思います。でも世界はそれだけでは評価しないということかもしれません。
      私は日本各地の省エネ住宅をホームページで手当たり次第調べてみました。確かに意匠的に革新的なものは探した中には見当たりませんでした。
      それに比べて、この大会での世界各国の提案はなんとも斬新なものばかりでした。
      優勝したフランスの住宅は、太陽光パネルで緑色のドッドをシルクスクリーン印刷して、木立の下から空を見上げたような木洩れ日空間を演出していました。
      吊るされたハンモック形状の椅子にすわっているだけで、都会とは思えないような優雅なひとときを想像できる素晴らしい提案でした。

      イタリアの住宅では、壁に大きな魚を描いています。
      遊び心を感じますが、実はこれは粗砂と蓄熱塗料で描いたもので、昼間に光を蓄えて、周囲が暗くなると光り出し、照明の役割も担うという機能が備わっています。
      このようなローテクの素材に加えて、推定年間発電量は、推定年間消費電力量の1.8倍の9330kWhにもなるハイテクの設備も積極的に導入していました。

      さて、去年の夏に常夏の楽園ハワイに訪れそこでスマートハウスの見学をしました。
      ハワイのスマートハウスでは、太陽光パネルと太陽熱温水器パネルを設置することが法律で義務付けされているようです。
      インフラとともに整備された住宅街には、屋根にほぼ同じ大きさの太陽光パネルと太陽熱温水器のパネルが設置されていました。
      太陽光パネルは、日本の住宅に設置されている面積の約1/2または1/3程度の大きさでした。住宅局の方に説明していただいた資料では、いわゆる高気密高断熱化されており、電力モニターも「見える化」による意識向上の効果をもたらすような内容でした。

      ハワイの太陽熱温水器の設置に関しては特に興味深く感じました
      沖縄はポストカードでは青い空と青い海が定番ですが、実際は晴れの日よりも曇りの日が多く実際太陽光発電は、本州の方が日照時間は多く、発電量も本州の方が上回る事もあります。
      しかし、太陽熱温水器は曇りの日でも、暖かければ熱取得が可能なので、一年中温暖な沖縄では圧倒的に効率がいいです。また、機器や設置料金も太陽光パネルに比べ安価です。
      お風呂よりもシャワーを多用する沖縄では給湯にコストがかかります。そのコストが削減できるとしたら、大きな省エネ効果がもたらせるものだと思います。

      世界中で地球を守ろうという動きがある中、ここ沖縄ではどんな美しい機能美のある省エネ住宅が作っていけるか今後とても楽しみです。

      (2013年6月26日掲載)

  • 第2回 美しい省エネ住宅で暮らしたい
    • 『美しい省エネ住宅で暮らしたい』 松田 まり子

      「省エネ住宅」といったら、皆さんはどんな家を想像するでしょうか。
      屋根には太陽光パネルがついていて、蓄電池もあって、雨水を利用して生活ができてその家だけでエネルギーを循環し、たとえ災害が起きても、自立して生きぬいていける家、そんな住宅でしょうか。

      ZEB(Zero Energy Building)という言葉も最近は日常性を帯びてきました。
      私も、このNPO蒸暑地域住まいの研究会に所属するようになって、日々、省エネ・低炭素・環境問題のことばかり考えてしまいます。
      どこかで省エネという文字をみると、つい目を追ってしまうし、本があるとつい手に取ってしまいます。
      でも、その度に私はどこかため息を漏らし、どこを目指していけばいいのか、何ができるのであろうかと、考えれば考えるほどわからなくなります。

      東日本大震災・津波で、激流に多くの家屋がのみこまれていくあの映像は、2年経った現在も私の頭から離れなくて、身震いがします。
      のみこまれた住宅のほとんどが、1階建てもしくは2階建ての木造でした。津波が起こったとき、私たちは、2011(平成23)年度の林野庁からの地域材供給倍増事業「水平連帯等木材産業活性化のための支援」において、沖縄における地域型住宅づくり支援検討業務を行っているときでした。
      内容を要約すると、日本には立派な森林が多くあり、その木材を有効利用するためにどのような手段があるかという課題の下、沖縄で木造住宅を推進してみてはどうだろうか、そのためには、どうすればいいのか、どのような問題があるか等を検討していました。
      今後、木造を推進し続けて果たしていいものなのか、疑問すら抱きました。

      戦前は、沖縄にも美しい木造の街並みが残っていました。戦火の被害、台風の襲撃により現在はほとんど残っていません。
      幅射熱も少ない、炭素を固定化できるため、沖縄でも低炭素型社会を目指していく上で、快適であり、有効な構造だと思います。
      でも、またあの津波が来たら、大地震が来たら、台風が来たら、はたまたハリケーンが来たら、とまで考えていくと、作り方を見直していく必要があります。

      ここで、あらためて建築の原点に戻ったときに、大切なのは「敷地を読む」という事でした。
      建築士になって建てたいものは、たくさんあり、いろんなイメージがあります。
      その中でも、群を抜いて一番、どうしても死ぬ前に建てたいものは、「自分が住む家」です。
      今のところ、どんな家に住みたいのか、答えは「美しい省エネ住宅」です。

      太陽光パネルを置いただけで、省エネだといっていることに疑問を覚えます。
      そういうイメージができあがっているのもわからなくはありません。
      でも、太陽光パネルを置くことは、少なくとも省エネではなくて、創エネです。電気をたくさん使いたいから太陽光パネルを置く、そんな方もいらっしゃいます。
      それは決してエネルギーは、省いていないのです。エネルギーを創ることは、より豊かになるものだとは思います。
      でも、創っているからいっぱい使える、というような流れになると、省エネからどんどん離れていくことになります。
      設備は大切だけど、設備に頼らないと生きていけなくなるような人間生活でいいのであろうか、設備に頼らず、伝統的な知恵と最先端技術に頼る方がよっぽどの省エネなのではないでしょうか。

      ところで、小さいことはとてもエコだとおもいます。
      小さなリビングだと、エアコンで冷やすにも小さなエネルギーで済みます。
      逆にいうと、大きな家や広いリビングは、それだけたくさんのエネルギーを使うということです。
      でも、広いリビングは多くの人の憧れでもあります。
      広くてエコな居心地のよいリビングはどうすれば可能でしょうか。

      そこで私が考えたのは、ほとんど何もしなくていい広いリビングです。
      ここで何もしなくていいというのは、掃除もそこまでしなくていい、空調もしなくていい、だからメンテナンスもしなくてもいい、究極に言うとうこと、そのリビングにいてもいいしいなくてもいい、ということです。

      半屋外空間にもなり完全に室内にもなる構造で、開口部を開けていても大きなゴミは入ってこないようになっているようなイメージです。
      台風が来たときは完全にシェルター化でき、暑くて風がほしいときは、思うように風を取り入れて涼をとることができます。
      寒くて閉めたいときは、太陽光と熱だけを取り入れるようなしくみをつくってみるとそこまで難しいことではないように思えます。
      「開けたいときに開ける。閉めたいときに閉める」それができる住宅こそが、沖縄において大切な省エネ住宅のポイントだと思います。

      (2013年5月1日掲載)

  • 第1回 ワークシェアリングの可能性
    • 『ワークシェアリングの可能性』 松田 まり子

      現在、私はNPO蒸暑地域住まいの研究会で、この沖縄の気候に合った省エネ住宅の研究および設計を行っています。
      「建設論壇」では、省エネ住宅、ライフスタイルにはじまり、一県民としての視点から沖縄の景観、また一設計士としての視点からの建設業について感じていること等を書かせていただきたいと思っております。
      また、私事で恐縮ですが4月に出産予定です。男女という立場比較はあまり好きではありませんが、母としての視点、女性建築士の視点からも感じることを書かせていただきたいと思っております。

      男性社会の色が強いこの建設業ですが、仕事の拘束時間も長く「家庭と仕事、どっちが大切なの!」と、奥様に責められた方も少なくないと思います。
      そんな中、建設業に携わる女性がわかった時点で「どっちが大切なの?」と問われる立場すらなく産む選択をします。

      しかし、いざ望んだ妊娠も同期の男性をよそ目に、仕事から身を引くのは大変心苦しく感じるものです。
      現実的に工事現場に立ち会う仕事は、大きなお腹を抱えていくのは恐怖ですし、周りにもご心配をおかけすることになります。
      今まで建築士として生きてきた自分から離れて、どの時期に仕事復帰できるか等を考えていくと、男に生まれたかったと思うこともありました。

      子育てをしながら働くことを考えて「正社員からパートになる」のは、誇りや自信、給料も約3分の1まで下がるといわれています。
      もちろん仕事を生きがいとして生きてきたし、仕事に対する情熱も男性に負けじ魂がありますが、子供を持つということはまた別の視点になります。
      母としてできることを考え、仕事の引き継ぎ・残務処理を検討しました。

      仕事に対して、我が子のような愛着があり、決して中途半端に終わらせたくないので、これからどうやってこなしていけるかを考えました。
      たまたま、現在のところ工事現場の仕事がなかったのは幸いで、基本設計から実施設計に移るお仕事は、辞退させていただきました。
      また今後のことも考えて、今は設計の仕事から研究の仕事に重点を置いていくことにしました。
      ものづくりから離れていくことは、とても悔しく、でもこれを機会に座学でできること、今できることは何かを問い、前向きに考えることにしました。
      建築が社会と自分自身をつなげるものだと感じていた私が、初めて子供を産むということでも社会に対する貢献なのだと思うようになりました。

      さて、設計事務所を続けながら子供を育てている女性は、いったいどれくらいいるのでしょうか。
      私の周りにも、両親や夫の協力をもらいながら、保育所に子供を預け、働く女性建築士は多くいます。
      ただ、やはり妊娠前の状況とは異なり、残業はできなくなり、就業時間も拘束できない、それゆえに給料はもちろん下がり、同期の男性には、とっくに追い越されてしまうのがおおむねの現状だと思います。

      子供のころは、なんとなく誰かと結婚して、子供を産んで、育てて、いつか巣立ちまた夫婦の生活を楽しむことが、人生なのだと思っていました。
      もちろん今でも幾分も変わらず、その想いはあります。
      でも理想と現実には必ずギャップというものがあって建築の仕事が大好きで、一生続けていきたいと思っている私には、ずっと同じペースで続けられる男性がとてもうらやましく感じます。
      でも、出産は誰もができることではないということもあり、きっと今後の建築人生を変えるものになると信じています。

      建設業だけではなく、実際女性が社会進出することに対して、現実はとても厳しいのです。
      場合によっては、仕事を続けるか、産むかの二択を選ばなくてはいけません。
      そのジレンマに対して、私はこんな理想を描くようになりました。独立した建築士事務所を持つ女性が、一つの空間でワークシェアするということです。

      工事現場にいける人、そばで子供をみながら仕事ができる人、図面をひたすらかける人、保育園に迎えにいかないといけない人、子供が病気で全く仕事に手が付けられない人、それぞれの接点や長所を生かして、うまくワークシェアできないものでしょうか。
      もしかしたら、その中で保育士を雇い、保育所に預けなくても身近で子供の様子が確認できる、ということも可能なのではないでしょうか。

      ひょっとすると、このようなネットワークの構築も、今後の建設業に影響を及ぼすものかもしれません。

      (2013年3月6日掲載)